人名

人名
子供の名前はできるだけシンプルに

松野町夫 (翻訳家)

日本の苗字は、いったいどのくらいあるのだろうか?

これは、苗字(姓、氏)をどのように分類するかで大きく変動する。たとえば、佐藤、佐東、佐当、左藤、左東について、漢字で分類すると 5件となるが、「さとう」という読みで分類すると 1件となる。また、漢字には旧字や異体字があり、斎藤、斉藤、齊藤、齋藤について、漢字をすべて同種とみなせば 1件となるが、個別に分類すると 4件となる。さらにまた、漢字には読みが複数ある。実際、「佐藤」という苗字には(さとう、さとお、さふじ、そとう、さいとう)という 5通りの読み方が存在する。この場合、「佐藤」という漢字で分類すると 1 件となるが、漢字の読みで分類すると 5 件となる。

また、苗字の数は基礎資料によっても大きく変動する。日本ソフト販売のCD-ROM版『電子電話帳2005全国版』はデジタル文書なのでデータ処理には便利だが、最新版はまだないし登録されていない人も多数いる。国の国勢調査資料や住民基本台帳のデータベースが利用できれば一番確実なのだが、個人情報保護のため、氏名など個人データは公表されていない。

現時点では個人が利用できる完全な姓名のデータベース全国版はないと思う。しかし姓についておおまかな傾向・情報を入手したい人には、インターネットの以下のサイトをお薦めする。ちなみに、このサイトの「苗字順位検索」の「苗字入力」欄に自分の苗字を入力すると順位が表示される。例: 松野、483位。そこで次に、これをもとに「401-500位」をクリックすると、苗字人口や出自(=でどころ)が確認できる。
『日本の苗字7000傑』 http://www.myj7000.jp-biz.net/

『日本の苗字7000傑』によると、日本人の姓の種類は次の通り:

約30万件 丹羽基二編「日本苗字大辞典」(漢字と読みの両方を区別して分類)
約10万件 Webサイト「全国の苗字」(漢字を区別して分類)

上位7000の姓で全人口の約96% をカバーしているという。苗字人口のトップ3は、佐藤(193万)、鈴木(171万)、高橋(142万)。中国人の姓の種類は約1万で、トップ3は王(wáng)・陳(chén)・李(lǐ)。また、韓国人の姓の種類は300未満で、トップ3は金(김)・李(이)・朴(박)という。ちなみに、世界で一番人口の多い姓は、中国の王姓で約1億人とのこと。(以上、引用終わり)

漢字文化圏の人名は、姓と名(=氏と名)からなる。同じ漢字文化圏でありながら、中国や韓国と比較して日本人の姓の種類はとびぬけて多い。なぜか?私が推察するに、それはまず第一に中国や朝鮮では1字姓が多いが、日本では2字姓が多いので組み合わせ(セット)からみても姓の収容能力が高いこと。次に、姓に対する思想・歴史のちがいが関係するということ。

中国や朝鮮には「父の姓が子に伝わる」という不動の鉄則がある。具体的には、同じ姓は結婚してはならず(同姓不婚)、また、姓の異なる者を養子にしてはならない(異姓不養)。中国や朝鮮では、女性は結婚しても姓が変わらず、一生、父の姓をなのる。「父の姓が子に伝わる」という徹底したこの思想は中国に誕生し、朝鮮では受け入れられたが、どういうわけか日本では定着しなかった。おそらく日本は中国から地理的に遠く離れているので、その影響力が弱かったのも要因の一つかもしれない。

中国や朝鮮では父子の関係(父系の血筋)が代々受け継がれるので、同じ姓をなのるということは共同の祖先から分かれ出た子孫ということになる(=同族)。中国や朝鮮には族譜(家系に関する記録)があり、家系の良否が一族の政治的社会的地位を決定したので家宝として大切に保管されていたりする。先日、NHKテレビの世界遺産「韓国の歴史村・良洞(ヤンドン)村」で、この村に500年以上に渡って続く孫家の族譜が披露された。孫家の初代孫昭(ソンソ)から現代の当主にいたるまで整然と漢字で筆記されているのに驚いた。「父の姓が子に伝わる」という鉄則がここでは厳格に受け継がれていた。

これに対して日本では、「父の姓が子に伝わる」というケースは確かに多いが、厳格な規則ではなく、もっとおおらかなものである。女性は結婚したら父の姓を止め、夫の姓をなのる場合がほとんどだし、また、養子縁組もむしろ同姓でない場合が多い。つまり、日本の姓は「家名を継ぐ」のであり、中国や朝鮮のように「父系の血筋を継ぐ」のではない。

日本人ひとりひとりが自分の姓(=氏)を持つようになったのは、1870年(明治3)9月19日以降のこと。それまでは大多数の庶民は「名」しか持たなかった。江戸時代、士農工商という身分制度のもとで、名字帯刀(名字をとなえ刀を差すこと)は、武士と特定の庶民(農民・町人など)だけに許された特権であった。明治政府は、税と兵役を課すため国民を把握する必要があり、従来の特権的苗字制度を廃止し、一般庶民が姓(氏)を有することを認めたのである。明治民法746条の規定〈戸主及ヒ家族ハ其ノ家ノ氏ヲ称ス〉により、個人の氏は必然的にその人が属する〈家〉の氏になった。現行規定(1947年改正)では〈家〉制度が廃止され、「氏」は単なる個人の呼称と説明されている。ただし夫婦や親子という家族的な関係を基礎として氏を決定している点は今もかわりがない。

おそらく明治初期のこの時点で、私が想像するに、大量の氏(姓)が新たに追加され、その種類が10万とも30万とも言われほどに急増したのではないだろうか。日本古代の氏姓はそうではないが、戦国時代以降の日本の武将などの氏は、山や川、田、島、水、松、…などのように自然と関連するものが多い。たとえば、遠山、山内、山岡、山中、山本、今川、川上、徳川、細川、太田、織田、真田、武田、津田、前田、小島、中島、島津、清水、水原、深水、松平、松井、松下、…(以下省略)。明治初期に姓を持たなかった人々も、この命名の要領に従って、慣れ親しんだ近辺の自然を表す語を選び、自分たちの名字(=家名)としたのだろうと思う。だから日本では、中国や朝鮮とは異なり、同じ姓だから共同の祖先から分かれ出た子孫(=同族)だとは必ずしも言えない。

日本の人名の問題点は漢字の「読み」にある。漢字が音読み・訓読みされ、それも万葉読み、湯桶(ゆとう)読み、重箱読み、熟語読みされるので、ふりがなをつけないかぎり正確に読めない場合が多い。しかし中国(普通語)や韓国では漢字の読みは原則としてひとつしかないので単純明快。韓国では人名に漢字またはハングル(表音文字)を使用できる(ただし漢字とハングルの混合は認めていない)。北朝鮮では漢字を廃止し、すべて(人名も含む)ハングル表記なので読み方で混乱することはない。

日本の戸籍に子の名として使用できる文字は、原則として常用漢字と人名用漢字、ひらがな、カタカナ、長音符、踊り字(々・ゝなど)である。日本の人名がふりがなをつけないかぎり正確に読めないのであれば、北朝鮮のように漢字表記をやめて、せめて名前ぐらいは最初からひらがなやカタカナ表記にすればいいのにと私など思うが、残念ながら少数意見のため、その願いは当分かないそうにない。それどころか逆に、人名用漢字に「雫」「苺」「遙」「煌」「牙」「掬」「龍」「彌」などが追加されたり、常用漢字の異体字、「亞」「惡」「爲」「逸」「榮」「衞」「單」…などが追加されるなど、使用できる漢字の数は全体として増加傾向にある。こうした傾向は人名をさらに複雑にし、混乱を増幅させるばかりで、本人はもちろん、社会のためにもならない。

日本人の漢字に対する愛着は根強い。人名を漢字で表記することに相当の思い入れ、こだわりがある。しかし、アインシュタイン(Albert Einstein)ではないが、「ものごとはすべて、できるだけ単純な方がいい」。 ”Everything should be made as simple as possible, but not simpler.”

子供の名前はできるだけシンプルにしたほうがよい。他人が読めない漢字を使用して得意になっている親をたまに見かけるが、子供の将来のためにもよくない。名前は画数の多い複雑で難解な漢字よりも、誰もが読み書きできる簡単な文字の方がずっといい。

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この記事へのコメント

tora
2011年04月21日 23:00
名前をシンプルにするのがベストかもしれないけどそれは大変難しいことですね。ほとんどの子を持つ親は、赤ちゃんが出来ると、丈夫で、元気に育ってほしい、とか可愛く美しく育ってほしいとかで字を選んだり、運勢的に良い画数の字はとか,挙句に外人みたいな、名前にして当て字で無理やり読ませたりしている現実がありますからね!!
mm
2011年04月21日 23:17
おっしゃるとおり、たいへんむずかしいことです。なんといっても、苗字がそもそも漢字ですから。私の小学生のころは「当用漢字」=当面使用する漢字と言っていたのですが、現在、「常用漢字」=常に使用する漢字と変更されているぐらいですから。漢字に対する愛着は日本人なら誰でも持っているのでしょうね。

私が今、漢字を使いながら、こうして文章を書いているのは、現代日本語の正書法(=「べたがき」の漢字仮名交じり文)に従っているにすぎません。漢字はもともと中国語を書くための文字なので、日本語の表記には本来、適さないと私は思っています。

確かに、仮名だけの文章は読みづらい。日本語は現在、語句と語句の間にスペースをあけない「べたがき」ですが、これをやめて、「わかちがき」にすれば問題は解決します。実際、英語をはじめ世界のほとんどすべての言語はわかちがきを採用しています。漢字仮名交じり文の場合、漢字とカナという異種の文字が適当にまじりあっているので文節ごとに分ち書きしているのと同じ効果があるので「べたがき」でやっていけますが、言語は本来、「わかちがき」すべきもので、日本語の表記も、分ち書きすべきものだったのに、漢字を取り入れたことで、本来の日本語の発展が阻害されている。「べたがき」の場合、読みやすさのために、どうしても漢字を多用せざるを得ないという悪循環に陥っている、のではないでしょうか?

日本語の文字から漢字を排除して、カタカナやひらがな、ローマ字にすれば、数週間もあれば、こうした表音文字は簡単に習得できるし、いつでも、どこでも、辞書がなくても、誰もが自信を持って、日本語の文章を書くことができます。

以前、丸の内線の電車内で村上春樹の「1Q84」(韓国語翻訳版)を読んでいる女性に出会いました。分厚い本でしたが、漢字は一切なく、すべてハングルの分かち書きでした。

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    Excerpt: 人名 ことば雑感/ウェブリブログ Weblog: VISVIM サンダル racked: 2013-07-09 14:06