地名の由来

地名の由来
吾平(あいら)の「ああ、ひらひら説」と「ひら=斜面説」

松野町夫 (翻訳家)

人に名前があるように、土地にもそれぞれ固有の名前(=地名)がある。地名はその土地特有の地形・動植物・歴史・伝説などに由来するものが多い。地名は古代から人間の共同生活に欠かせない神聖で重要な名称であり、地名を見れば、当時の地形や動植物の生息がわかることがある。たとえば、大阪の梅田は低湿地の埋田(うめだ)であった。江戸時代の遊郭、吉原(現在の日本橋人形町)もヨシが生えた原野であったし、東京の築地(つきじ)も江戸時代に東京湾を埋め立ててできた造成地であった。

上記の地名は、いずれも歴史的には比較的最近の造成地なのでその由来がわかりやすい。しかし地名のなかには、とくに古い歴史を有する地域はその地名の由来を特定するのが非常に困難な場合が多い。私の故郷、「あいら」(鹿児島県鹿屋市吾平町)もそのひとつである。吾平小学校4年生のとき、私は吾平町長・長崎貞治氏(任期: 1955年-1971年)の「ああ、ひらひら」説の講演を聞き、子供心に感動し今でもその話を覚えている。

「ああ、ひらひら説」:
ニニギノミコトが天照大神の命を受け、天空の高天原(たかまのはら)から地上の高千穂峰に降り立った(天孫降臨の神話)。山頂から吾平(あいら)を眺めたところ、とても平坦な土地だったので「ああ、ひらひら(=ああ、平たい)」とおっしゃったそうな。そこで村人はこの地を「あひら」と呼んだ。「あひら」は発音しにくいので、やがて「あいら」と呼ばれるようになった。

ところが、昭和35年(1960)発行の「吾平町誌」24頁に次のような記述がある:

ところで「あいら」の地名について、ここに若干の考証をしておくことにしよう。「吾平」の字を町名に用いるのは、昭和22年以来のことであって、これは姶良郡の姶良との混同を避けるために、当時の村当局がとった賢明な対策であった。それでもただ無暗にこの用字にしたのではなく、わが国最古の古典の一つ、日本書紀神代紀に「吾平山上陵」とあるのに由ったもので、極めて由緒ある用字である。この「吾平」の用字を、続日本紀には「姶+ころもへんに羅」または「姶+女へんに羅」に作り、延喜式には「姶良」と載せ、和名抄には「姶羅」と書くようになったが、後代長く用いられるようになった。(以下省略)

さらに、「吾平町誌」27頁に次のような記述がある。この説を以下便宜上、「ひら=斜面説」と呼ぶ。

「ひら=斜面説」:
ついでに吾平の語源について述べるならば、「アア平(ひら)」(アア平たい!)などというのは荒唐無稽の説である。平は大隅地方に今も方言としてのこる「ひら」すなわち山の斜面を表す言葉で、「よもつひらさか」の「ひら」と同意の古語と考えた方がよさそうである。「あ」は勿論美称の接頭語で、「ひら」すなわち山の斜面をさした言葉と考えたい。国見山系の山の斜面に古代人の住居があったと考えても差支えないかと思われる。因みに「でら」は「ひら」に対する言葉で、平地をさす言葉として、大隅地方の方言に今も生きていることを附け加えておく。(以下省略)

あれえ、「ああ、ひらひら説」は荒唐無稽の説!ほんとかな?少なくとも「吾平町誌」24頁の考証の記述については異論の余地はない。これは認めるとしても、しかし27頁の記述「吾平の語源」は、よく読んでみると、「あひら」ということばについて述べているにすぎない。要するに、古語の「あひら」について、「あ」は美称の接頭語で、「ひら」は山の斜面を表す。古語の「あひら」には「ああ、平たい!」という意味はない。だから「ああ、ひらひら説」は荒唐無稽の説、と言うことである。

しかし古語辞典で私が調べた範囲では、古語の「あひら」には「ああ、平たい!」という意味があることは確認できたが、逆に、「あ」は美称の接頭語で「ひら」は山の斜面を表す、ということは確認できなかった。結論からいうと、「ああ、ひらひら説」は標準語(奈良のことば)をベースに、「ひら=斜面説」は方言をベースにしていると思う。「ひら=斜面説」には言語的に疑問点がある。

疑問1: 「あ」は美称の接頭語という根拠は?

美称とは、ほめて言う呼び名・呼び方。「み雪」、「み山」、「み子」、「おみおつけ」、「おみくじ」など「み」が単独(1字)で美称となる場合は多いが、「あ」が単独で美称となる例は手元の旺文社 『全訳古語辞典』では確認できなかった。ただし世界大百科事典の「人名」に、天鈿女(あめのうずめ)命の「天(あめ)」は美称、「命(みこと)」は尊称、実名は鈿女(うずめ)とあるので、「あ」が美称の接頭語という可能性もあるが、そうだとしても、きわめて変則的であり標準的な用法ではない。一方、旺文社 『全訳古語辞典』によれば、「あ」や「ああ」はいずれも、感動詞で感動や驚きを表す語とある。また、「吾(あ)」については、自称の人代名詞。私。われ。と定義している。

疑問2: 「ひら」が山の斜面という根拠は?

手元の旺文社 『全訳古語辞典』をいろいろ調べてみたが、どこにも「ひら=斜面」という記述がない。あるのはすべて、「ひら」は平らなもの、という記述ばかり。インターネットで黄泉平坂(よもつひらさか)を検索したところ、ようやく「ひら=斜面」を記述したサイトにたどりついた。

著者は春桜庵主人。
黄泉平坂(よもつひらさか)
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Yomohira.html

詳しい解説はこのページを読んでいただくとして、ここでは「ひら=斜面」に関する根拠のみを抜粋する。

· 沖縄の古典『おもろさうし』に「坂」を「ヒラ」とよんでいる(巻二 79番・83番)。
· 『沖縄語辞典』に、「hira 1(名)坂。「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻)」。
· 「ヒラ」を『日本方言大辞典』でひくと、傾斜地、斜面、坂の意味で用いている地方が全国的に見られる。ただし、近畿・中国の一部・四国を除く。

なるほど、沖縄や九州、関東、東北などの古代の方言では「ひら=斜面」となるわけですか。そうかもしれない。というか、おそらくそうなのでしょう。それは認めるとしても、そのことが「ああ、ひらひら説」を否定する根拠とはならない。つまり、「ひら」が斜面の意味を持つのは、あくまでも方言のなか。奈良の都やその周辺では斜面の意味では使用されていない。標準語では今も昔も、「ひら」は平らなものである。

「ひら=斜面説」が主張できるのは、沖縄や九州など、奈良の都から遠く離れた地方の古代方言では「ひら」は斜面の意味を持った、ということである。これを根拠にして、だから「ああ、ひらひら説」は古語の用法を無視した荒唐無稽なものと結論付けることはできない。なぜなら、「ああ、ひらひら説」は古代の標準語(奈良のことば)に基づいた説話だと反論できる余地がまだ残されているから。私たちは今も、そしておそらく昔も、方言と標準語をその場に応じて臨機応変に使い分けてきているはずである。方言は地域住民の日常の「話しことば」として、標準語は「書きことば」として、あるいは、あらたまった場所での「話しことば」として。

「ひら=斜面説」では、あいらの祖先(古代人)が国見山系の山の斜面に住んでいたので、この地を「あひら」と呼ぶようになったのではないかと推測している。なるほど、あいらの祖先が山の斜面に住んでいたのは、おそらくまちがいない。しかし住まい(住所)と地名に常に必然的な関連があるわけではない。あくまでも推測にすぎない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

国見山は鹿児島県肝属郡肝付町にある。標高886 m。国見山系の山は「あいら」から少し離れすぎているように私には感じられる。私のなかの「あいら」のイメージは、町の中央に姶良川が南北に流れ、川の両側に水田が広がり、水田のずっと先には小高い台地があり、そこに畑が広がる、というもの。まさに「ああ、平たい」という感じ。地元でこの感覚を共有する人は多い。だからこそ多くの人が「ああ、ひらひら説」を素直に受け入れてきたのである。

「ああ、ひらひら説」と「ひら=斜面説」はいずれも「あひら(吾平)」という地名から出発している。しかし、「あいら」はこれまで「姶+ころもへんに羅」「姶羅」「姶良」「吾平」と表記されていた。ここの漢字はすべて当て字であり、漢字本来の意味とは関係がない。やまとことば、とくに地名の語源を考えるときは、一度漢字の意味を離れて、漢字の読み(=音声)に注目して考える必要がある。「姶+ころもへんに羅」や「姶羅」「姶良」の読みは「あいら」、「吾平」の読みは「あひら」である。「あいら」という地名なのに、なぜ「あひら」を選択したのか、両説ともに、その根拠が示されていない。もともと「あひら」と言う地名だったが「あひら」は発音しにくいので、やがて「あいら」と呼ばれるようになったというのであれば、「ああ、ひらひら説」を一部、認めていることになる。

「ああ、ひらひら説」は少なくとも一時期、吾平町に存在した。正式な文献としてではなく、地元住民が語り継ぐ形で。口づてに伝承されたものは通常、文書化されない。吾平町の「ああ、ひらひら説」は古事記や日本書紀などの古い文献に記述がない。だからと言って「ああ、ひらひら説」を全否定するのは早計である。神話は歴史的事実ではない。しかし神話はその地方の当時の信仰・文化・慣習を反映し、その意味で貴重な歴史的資料となりうるものである。

「ああ、ひらひら説」は「ひら=平坦」とし、一方、「ひら=斜面説」は「ひら=斜面」と解釈する。前者は吾平の地名の由来を天孫降臨の神話と関連付けて雄大なスケールで誰にもわかりやすい「おとぎ話」にまとめている。これに対して、後者はできるだけ史実に忠実に、合理的な説明を意図している。神話と史実。両者の立場は異なるが、お互いに補い合うべきものである。

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この記事へのコメント

tora
2011年04月13日 15:49
吾平の「ああ、ひらひら説」を荒唐無稽と書いてあったのに火が点きましたね。私も、斜面説、よりも平ら説「ひらひら」の方が自然に受け入れることが出来す。また、春桜庵主人著の「黄泉平坂」を読ませていただきましたが、黄泉の国の境となる坂。・・・・・となっていました。つまり黄泉の国への境まで行く途中が平坦、なだらかだった。ごつごつとした岩山のようではなかった。とおもいたいですね。また、語り継いでいくうちに言葉や内容が変わっていくこともありますね。伝言ゲームのように。

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